2010年1月26日火曜日

無題

息もつかずに走ってた
あなたのほかには何も見えなくて
立ち止まることは負けること
あなたをいつか追い詰めた

流されて行くことを恐れては
やさしさをいつも試していた

ひとりになって 初めて知った
許されていた 守られていた
ありがとう ここから歩き出せる
風を見つめて歩きだそう

篠原美也子「風を見た日」


シノハラミヤコの宴会デイズ:1年生

これのことらしいです。
#よりによってこの方の出身地かorz
#いや、いろいろあったらしいんです。この方も。伝え聞く限り。

ポケモンにうつつを抜かしたり、
かけっこの順位が気になったり、
初めてグローブをはめて野球をしたり、
補助なし自転車に乗れるようになったり、
漢字で名前が書けるようになったり、
どこの1年生もやってるそんなたわいないことが、
たわいないことでキラキラ光る日々が、
その子に許されなかったのはなぜだ。


いや、ただ、
↑の部分を読んだら、かつて美也子さんご自身が歌ってくれた歌をふと思い出したからさ。

それにしても
日々の蓄積があったとしても(なんてイヤな蓄積だ)、

ここをすーっと読み流そうとして、
「どれだけイヤな蓄積かって僕は結局知らないよな」ということに気づく。

ソースがもはやないからちょっと言いにくいけど、
美也子さんご自身の日記でも、息子さんを叱りとばしたか当たり散らしたかで
「明日は、きっと笑顔で過ごそうね」
みたいな1行だけがたまに書かれてたのを覚えてる。

ああ、トマコの生きる道:カテゴリ「真剣に考える」
他の所なら↑がたまに「そんなこと言われても」レベルのヘビーなネタが来たり^^;

でも僕には、所詮想像するしかできない。
こうして耳年増にも知ったかぶりにもなっていくわけですね。あーやだ。


いや、言いたいのはそうじゃなくて(それもあるが)

許すって事は、許されるって事はすごいことなんだなーと。

そして許されっぱなしの俺は・・・まあそれはいいか。

決してかばうワケじゃないんだけど、(ふざけんなと思ってますよ正直)
この親は、本当のところ何が許せなかったんだろう?
あと、本当に許されなかったのは、誰だったのか?と。

子育てにかかわる「イヤな蓄積」は、人の命を脅かすほどのものか?
蓄積してしまう家庭とそれを免れる家庭との差ってどこにあるの?

しがない独身貴族としては、所詮疑問と想像しかできない。

でもねー。

不幸な子供も、理不尽に死ぬ子供もその子だけじゃないんだし、
もういい加減、
こういうことでいちいち感情的になるのやめよう、と、
いつも思うけど。

やっぱりあたしは、悔しい。


知ったかぶりでもやめちゃったら何かが終わる気がするのはなぜなんだぜ?

2 件のコメント:

ひまりん さんのコメント...

なんて言ったらいいのか・・・
このモヤモヤやイライラはなんだろう。

この親は子どもが死んじゃったから捕まったけど、死なない程度に殴り続けてる親が今この瞬間もどこかにいるのかもしれない・・・

どうしたらその子を助けてあげられるんだろう?地域??行政??

バタフライ・エフェクト。
何かが動いてほしい・・・。
他力本願で悲しいけど。

mai:pluie さんのコメント...

ありがとうございます。

他力本願で悲しいけど、僕も何か動いて欲しい・・・
でも今となっては難しいんでしょうね。
核家族が当たり前になった上に、「よその家庭に口出ししない」「よその家庭に口出しされたくない」という要望が過半数を得て突き進んだ結果当然あり得る副作用、というか自縄自縛なんだろうね、と傍目には見えるけど・・・
じゃあこういった虐待が、大家族が当たり前だった頃にはなかったかというと、それはわからないですし。

何かに共感したくても叶わないからねー。
イライラモヤモヤするしかないんですかねー。外野は。